3月の行事

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「雛祭り」とか「女の節句」とも呼ばれ、雛人形を飾り、ひし形にした餅を飾ります。古代中国の上巳節(じょうしせつ:3月最初の巳の日に厄払いをする行事)が起源とされ、3月3日に制定(691年の文献にある)されたことと、平安時代のお姫様の遊びの「ひいな遊び」が合わさり、誕生した行事といわれています。雛人形が飾られるようになる前は、自然の霊気に触れるために山や海に出かけ、山遊びでは桃の花の下で白酒を飲み、磯遊びでは貝拾いをするなどして、一日中遊ぶという集落の行事でした。やがて雛人形の誕生を機に、雛壇に桃の花や白酒を飾り、その前で行事が行われるようになりました。飾られる菱餅は通常は下から緑・白・赤の順に重ねて作られますが、白・緑・赤の順に重ねて作る所もあります。赤は桃の花、白は雪あるいは白酒、緑は雪解け後の芽吹きと解釈されています。色付けにはくちなし(赤)やよもぎ(緑)が使われ、ともに邪気を祓い薬効が高い植物です。餅の形がひし形になったのは江戸時代といわれ、ひし形は「心臓」あるいは「女性の性器」を表しているともいわれています。いずれも邪気を払い娘の成長を願う心情の現われと考えられます。


 
3月16日
十六団子
毎年、山と里を行き来する農事の神が、山から種子を抱いて里に降りてくる日といわれ、16個の団子を作ってもてなしました。農事の神は収穫の終わった秋に山に帰って「山の神」となり、春になると里に降りてきて「田の神」になると信じられ、山から降りてくる日が3月16日で、山に帰る日が11月16日とされています。また、山に帰ることを「さのぼり」、里に降りてくることを「さおり」といい、里に降りてきた神を迎える役を「さおとめ(早乙女)」といい、女性の仕事とされていました。16日の早朝、里に降りてきた田の神の前で、早乙女は晴れ着を着て新しい菅笠を被り、囃しや音頭にあわせて田植歌を歌いながら、苗を植え付けます。 田の神は、臼杵の音を聞いて降りてくるといわれているため、この日に臼杵で餅を作り、16日であることから「十六団子」の行事が生まれたと伝えられています。また、この日は、神が山から降りるため、「田の神荒れ」といって天候が悪くなるといわれ、神に出くわしてはいけないということで、田や山へは行かないで神を迎える地域もあります。 神が山と里を行き来する日や、団子の作り方(火を使わないで作る団子、泥で作る団子など)や供える場所(大黒様、祭りの場など)など、地域によって異なっているのが実情です。


 
彼岸とは「到彼岸」の略語で、生死煩脳を離脱した仏の世界に到達するという意味です。毎年春分と秋分の日の前後7日間を彼岸とし、806年(大同元年)に行われた早良親王の鎮魂が始まりといわれています。春分の日の太陽は真東から昇って真西に沈むことから、西方浄土に最も近づく日と考えられ、その日に先祖の冥福を祈り、墓参りをする日となりました。この日に食べるぼた餅は、春の農繁期を前に甘みの強いぼた餅で体力をつけるという意味も込められ、地域によっては先祖の霊との関係が糸のように長く続くことを願い、納豆や山の芋を不可欠としている所もあります。


 
3月25日は九州の大宰府に左遷されその地で亡くなった菅原道真の命日。九州へ向かう途中で道明寺(大阪府)に居る伯母の覚寿尼(かくじゅに)を訪ねた折、心中を察した覚寿尼が、道真の好きな梅の実をかたどり、春の訪れを感じさせる菜種(菜の花)の黄色い色をした団子を作ったことが由来であるといわれています。菜種の色に染めるのは、道真の霊をなだめることが、「なたね(菜種)=なだめ(宥め)」に通じるためと伝えられています。団子を染める黄色にはくちなしの実が使われ、一緒に菜の花と梅の花が供えられます。病気平癒やその年の豊穣を祈願する日ともなっています。


 

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