6月の行事

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朔日(ついたち)とは毎月の第1日のこと。平安時代、「氷室(ひむろ)」の氷が宮中の人々に配られるという慣わしから、「氷の朔日」という年中行事が誕生しました。「氷室」とは冬の氷を夏まで保存しておく場所で、地下などのひんやりした涼しい所に作られ、宮中ご用達の氷室が各地に作られていました。ここで貯蔵されていた氷は夏に宮中や幕府に献上され、口にすると夏やせしないと信じられていました。また元旦の節会の時に、氷室の氷の溶け具合でその年の農作物の豊凶を占ったといわれています。当時、水は貴重品。まして氷はとても手に入るものではありません。氷を口にすることができない民間では、この日に氷の代わりに正月の鏡餅を小片に割って食べ、行事を祝いました。正月の鏡餅を小さく割って作る割り餅は固く、割った形状が鬼の牙のように見えることから、この日は別名「鬼の朔日」とも呼ばれています。鏡餅の割り餅・あられ・入り豆などの固いものを食べることで、「歯固め」と称し、歯がますます丈夫になり長生きできるように祈願しました。


 
旧暦の6月16日は16個の餅あるいは菓子を神様に供え、後におろしてから家族揃って食べ、招福・厄除けを願う「嘉定喰い」の日です。「嘉定」とは「おめでたいしるし」の意味で、一家の無病息災が何よりの宝という意味合いが込められています。平安時代の仁明天皇(にんみょうてんのう 第54代天皇)により始まり、6月16日に執り行われるようになったのは室町時代、広く一般庶民に普及したのは江戸時代といわれています。年号の嘉祥(848~851年)や、室町時代に用いられた宋銭(嘉定通宝)が名前の由来と推測され、嘉定通宝は約して「嘉通」と呼ばれ、武士たちはこれを「勝つ」に通じる吉兆銭としていました。特に江戸幕府では「嘉定喰い」は重要な行事と位置付けられ、江戸城の大広間に饅頭・羊羹などの菓子が約2万個並べられ、将軍から大名・旗本へ菓子が配られたと、『嘉定私記』(1809年)に記録が残っています。民間ではこの日に16文で菓子を買い、笑わないで食べるという風習も行われていました。


 
新小麦の粉でうどんや団子を作り、ススキや茅の青茎で作った箸で食べる日で、別名「青箸の日」「青箸の年取り」などとも呼ばれています。土地によっては赤飯に尾花(ススキの穂)、青竹の箸を添えて神棚に供えます。新箸は翌朝早く川に流しますが、本来は青い稲穂を神様に供え、豊作を祈願する行事であったといわれています。


 
6月の晦日である30日は、1年の前半の最終日にあたり、この日は半年の間に積もった穢れを流す大切な日と考えられていました。夏の風物詩ともいえる日本古来の風習で、神社では「夏越祓え(なごしのはらえ)」が行われます。「夏越祓え」とは、茅(かや)で作った輪をくぐったり、形代(かたしろ)という紙の人形に穢れを移して川に流したりすることで、無病息災を願い厄除けをするものです。6月は悪疫の流行期であり、また前半の農作業が終わって体に疲れが溜まっている時期。禊(みそぎ)をすることで健康維持や除災を祈願しました。「なごし」は「和(な)ごし」に通じることから、神様の心を和らげ、無事に「夏」を「越す」ことにつなげ、この日は家族揃って夏越しまんじゅうやお払い団子を食べてスタミナをつけました。6月の大祓いを「夏越の祓い(なごしのはらえ)」、12月の大祓いを「年越しの祓い(としこしのはらえ)」といい、また6月の大祓いは別名「夏越神事」「六月祓い」とも呼ばれています。


 

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